和泉川沿いの自然散策 約7.3Km 約11,300歩

 散策コース

いずみの中央駅⇒地蔵原の水辺⇒長福寺⇒左馬神社⇒宝心寺⇒四谷の石仏⇒第六天神社⇒鯖神社⇒天王森泉公園⇒赤坂橋⇒

ゆめが丘駅

  

 

 

 



 

地蔵原の水辺

 「地蔵っ原」の地名の由来は「泉小次郎が戦った場所で、戦死した勇士を弔うために地蔵様が建てられた」といわれ、開発前は新田義貞鎌倉攻めの環状四号線沿いに地蔵様が祀られていました。
 春は桜を見ながらお弁当を食べたり、夏には小さい子供たちが水遊びをしたりと多くの人で賑わっています。

 

長福寺

  長福寺臨済宗天王山(てんのうざん)長福寺は、鎌倉円覚寺末で本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏です。新編相模風土記稿和泉村長福寺項に、開山は圓印大覚禅師法弟とあるので、創建は円覚寺開堂の1282年以降、飯田五郎家重の時代に「頼家一家の鎮魂の寺」として泉親衡ゆかりの地に建立されたものと考えられます。  隣の須賀神社は泉親衡が京都祇園社の牛頭天王を勧請(かんじょう)したと伝えられています。

須賀神社

 須賀神社は、信濃国の住人泉小次郎親衡が、この地に館を開いた建暦2年(1212)に、その鎮守神として祀ったのが初めと伝えられています。「和泉の天王さま」といわれ信仰されており、お祭りの神輿の「おわたり」は、昔から近郷に知られ、今でも大変賑やかに行われています。

中之宮左馬神社

祭神は左馬頭源満仲さまのかみみなもとのみつなか・天照皇大神あまてらすおおみかみで、中和泉地域の鎮守さまです。和泉川沿いに見られるサバ神社の一社で、源家隆盛の頃の勧請といわれています。寛永2年(1625)、和泉村の領主となった松平勝左衛門昌吉は、この神社を村の鎮守として再興し、能見のみ松平家の累代の祈願所としました。総けやき造りの本殿は立派です。境内には木食觀正碑もくじきかんしょうひ・庚申塔・西南の役の忠魂碑などがあります。

 

宝心寺  

 和泉山わせんざん松雲院と号し、本尊は阿弥陀仏です。もとは、泉小次郎親衡ちかひらが菩提寺として建立した泉龍寺といわれ、子孫が絶え荒廃していたのを、慶安4年(1651)に領主の松平勝左衛門昌吉が浄土宗の寺として建立し、宝心寺としました。境内には和泉廻化地蔵尊かいかじぞうそんと岩舟地蔵尊(いわふねじぞうそん)や庚申塔があり、参道入口には車塔が建っています。他に市指定の名木古木が立ち並んでいます。

 

四ツ谷の石仏

 和泉川に架かる草木くさき橋をわたると田園風景が広がります。近くに平安時代の住居址を中心とする草木遺跡があります。その先の三叉路に、一群の石仏が並べられています。宝篋印塔(ほうきょういんとう)残欠(年代不明)、道祖神塔(明治3年・1870)、地蔵庚申塔(寛文10年・1670)、出羽三山供養塔(文化 2 年・1805)、石祠(年代不明)などが見られます。

矢澤家の防風垣

防風垣には、乾燥に強く、刈り込みに耐え、樹形がまとまりやすい樹種が用いられます。ここの防風垣は、2種類の樹木によって2段造りになっています。下部は2mほどの高さまで常緑の低木のツゲを、その上には常緑の小高木のモチノキを10mほどの高さまで配しています。側面を垂直に、上部を水平に刈り込んだ緑の壁は、延べ70mにも及びます。

 

大六天神社と酒湧池 

 和泉の四ツ谷交差点近くに、第六天神の古社があります。深閑とした境内と鎮座する社殿に、昔が偲ばれます。神社の東側に池があり、真中に弁天様が祀られていることから弁天池と呼ばれていました。いつの頃からか 孝子(こうし)伝説にちなんだ「酒湧池」と呼ばれるようになりました。

酒湧池

むかし、第六天神社の近くに孝行息子がいました。父親は寝たきりの病人で酒が大好きでした。苦しい生活の中から幾ばくかの金を作りだして父親に酒を飲ませていましたが、ある日、第六天神社のそばの山道を通るとプーンと酒の匂いがしてきました。その匂いは山の中の池からしていました。息子は急いでそれをくんで持って帰り父親に飲ませました。すると、「こんなよい酒は飲んだことがない」と父親は非常に喜びました。毎日毎日息子はその池の水をくんできて、父親に飲ませていました。しかしある朝、息子はいつも通りくんできた酒樽を村人に見られてしまいました。その村人はこれで一儲けしようとして、大きな樽に池の水をくみましたが、水はただの水になってしまいました。息子が村人に酒樽を見られた橋はその後、樽見橋といわれるようになりました。

下和泉鯖さば神社 

和泉川沿いに見られるサバ神社の一社です。祭神は左馬頭源満仲さまのかみみなもとのみつなか。慶長年間(1596~1615)、当地の郷士清水・鈴木両氏が氏神として勧請したといわれています。元禄2年(1689)に氏子の寄進による社殿修復の棟札むなふだ※が残されています。神社のすぐ下あたりに、かつての清水製糸場があり、この工場で使用していた本館は、天王森泉公園に移築され、天王森泉館として使用されています。※棟札:棟上げの時、工事の由緒、建築の年月日、建築者または工匠の名などを記して、棟木に打ち付ける札。多くは頭部が山形をしている。

 

天王森泉館・天王森泉 (てんのうもりいずみ)公園 

 平成9年11月に開園し、天王森泉館を中心に昔ながらの原風景を残した緑豊かな、そしてホタルやワサビを育む豊富な湧き水のある公園です。天王森泉館は旧清水製糸場本館です。明治期に建てられた市内に残る唯一の製糸関連の遺構で、和泉・飯田・阿久和地区が一大製糸産業地であったことを偲ばせます。平成10年1月、横浜市認定歴史的建造物に選ばれました。