四国霊場88ヶ所御朱印

弘法大師と四国霊場

 弘法大師空海(774~835)は讃岐の屏風ヶ浦(香川県善通寺市)の郡司・佐白家に生まれました。

15歳で長岡京(京都府)に上り、高級菅吏になるべく勉学に励みましたが、都での学問に飽き足らず、山林に入って修行するようになります。24歳の時の著作「三教指帰(さんごうしいき)」には、徳島の太龍寺山(たいりゅうじやま)や高知の室戸岬など、四国の各地で修行の日々を送ったことが記されています。

その後、遣唐使の留学生として中国に渡り、密教の全てを伝授されて帰国。真言宗を開き、平安京の東寺や高野山を朝廷より賜りました。

伝承では、厄年の42歳の時に八十八ヶ所を選び、弘仁(こうにん)6年(815)に四国霊場を開創したといわれます。

 四国遍路は当初、修行憎などを中心に行われていましたが、江戸時代になると庶民に広く浸透し、日本を代表する霊場へと発展しました。

空海は62歳で入定(にゅうじょう)、生きたまま永遠の禅定に入ったとされ、四国遍路は「お大師さま(空海)は今も衆生を救ってくださっている」という弘法大師信仰の上に成り立っています。巡拝する際は「同行二人(どうきょうににん)」すなわち「常にお大師さまと共にある」という意識が大切です。